【感想】「なんで同人誌?」

「弟子」の傳ちゃんこと、細田傳造氏が、氏が加わっている同人誌を二冊送ってきた。基本的には、ご寄贈はご遠慮申し上げている(なんか偉そーに響くが、まあ、私なんかに送ってくる人もそうそういないんで)のだが、なにぶん、弟子だからしゃーない。薫陶ぶりを見ないといけないし──。
と思ったが、見てがっかりした。イケネ。傳ちゃん、金と暇に任せて、こういうザッシや集まりに、せっせと顔を出しているようだが、ドブ川のメダカのように、汚れてしまったますね(爆)。

私も、二十代はこういうザッシに加わってました。それも積極的にではなく、誘われたからだし、ネットもなかったんでね。
これらのザッシに名前を連ねている方々は、ネットでは詩は発表されてないようですが、ネットで発表されている詩人より、レベルが落ちています。それは、環境が甘いからでしょうか?

それにしても、『妃』は、かなり低レベルの詩ばかりで、集まっている人々も、雑多で、なーにやってんだか? 本人たちだけが「よがっている」マスターベーション集団。
『Ultra BardS(ユルトラ・バルズ)』は、エリート集団の匂い紛々。しかし、そのレベルが高いわけではない。編集は、『妃』より高級感あり(笑)。

今更ながら、なんで同人誌なんでしょーかねー? 

という感想です。傳ちゃん。

妃ほか


スポンサーサイト



『イエスタデイ 』──今年度ベスト3内確実(★★★★★)

『イエスタデイ』(ダニー・ボイル監督、2019年、原題『YESTERDAY』

 主人公に魅力を感じなかったというレビュアーがいた。それは、有色人種であり、あまり顔を知られてない俳優だったから? ダサい有色人種の主人公は、『スラムドッグ$ミリオネア』で、デブ・パテクをスターにした、ダニー・ボイルならではのものである。こういう「無色」に近い主人公に、われわれはだんだん共感していく。もし共感しないのであれば、それは初めから、偏見を持っていたと思われる。そして、ダニー・ボイルなら、映画の魅力の半分は、音楽なのである。もしビートルズを、自分以外誰も知らなかったら? という設定自体、それほど魅力的なものではないかもしれないが、ビートルズの曲全部を、無名の青年が作ったと信じられ、それが人々を驚愕させ、ネット社会に広がっていくさまは小気味よく、まさに現代ならではの映画である。いかにスターが作られていくかを、リアルに見ながら、青年は自分にとって一番大切なものに気づいていく。幼なじみの女性との愛を取る。そして、「ハリー・ポッター……」と口走ると、彼女が、「誰それ?」といい、パソコン画面での「ハリー・ポッター」検索が映し出され、どこかの将軍の名前が一番目に登場する──。いやはや、次は、「ハリー・ポッター」を知っているのは、また自分だけか、というオチ。
 誰もが知っているビートルズのヒット曲の題名の大きなロゴと、曲が、重なり合い場面を開いていく──。それは劇的であり、そういう場面がつながれていく。これこそ、この映画の魅力であり、まさに、映画でなければ味わえない感動である。ダニー・ボイルは、なによりもそれを知り抜いている監督である。ビートルズへのオマージュであるのはもちろんであるが、深い音楽分析でもある。いろいろからんでくるキャラクターも立っている。

tag : 洋画 ダニー・ボイル監督 ビートルズ

【詩】「蜜色のさよなら」

「蜜色のさよなら」

「詩人は通過していくところの痕跡を残すべきで、証拠はいらない。痕跡だけが夢見させる」(ルネ・シャール『庭の仲間たち』より)

痕跡……なにより弾痕
ハードボイルドは「桃色のさよなら」
カフカは「霧色のさよなら」
ミンガスも「霧色のさよなら」
二重スパイの小説は読み飽きて
いまは
Pを葬りことを考えているヤルタの夜明け
20世紀はこの地で作られた
ルーズベルト、チャーチル、スターリンが
百韻を踏んだ土地
チェーホフの別荘のあった保養地
さよなら
なんて匂やかな言葉、そうあなたに贈るのは
蜜色のさよなら

【昔のレビューをもう一度】『ブラック・スキャンダル』──洗練された21世紀の犯罪(暴露)映画(★★★★★)

『ブラック・スキャンダル』(スコット・クーパー監督、 2015年、原題『BLACK MASS』)2016年2月1日 7時43分


 共感できる人物はひとりも出ない。70年代、FBI最大のスキャンダルとされる、アイルランド・マフィアがからんだ「実話」であるが、いやな感じは少しもしない。むしろ惹きつけられる。青い目にするためにカラーコンタクトレンズを入れても、ジョニー・デップはアイルランド系には見えない。アイルランドの匂いがしないでもない、ベネディクト・カンバーバッチと兄弟になどとても見えない。しかしながら、このあたりで、カンバーバッチを持って来ないと、南ボストンで貧しい少年時代を過ごし、長じて上院議員、スキャンダル後も、大学総長におさまった人物を演じるのは難しい。そんじょそこらのアメリカ俳優ではウソっぽく見える。しかしながら主役のマフィアの薄気味悪さは、デップこそがふさわしいという配役なのだろう。

 本作がイヤな世界を描きながら、「さわやか」とさえ言える(言い過ぎかもしれないが(笑))魅力を湛えているのは、作る側の視点が常に抑制が利き、まっとうさを保持しているからだ。ゆえに、マフィアのボスの側近で、司法に協力する者=証言者のインタビューをときおり交えているが、彼らの真面目な眼差しが、かつては殺人さえ犯したのであるが、デップ演じるボス、ジミーほど残虐でないことがわかる。側近のひとりが、ジミーという人物をどう思うかと聞かれ、「生まれながら犯罪者だと思う」と答える。これが、彼らとボスとの違いだろう。

 FBIの捜査官、上院議員、マフィアの三人が幼なじみと肉親であったことから通じ合い、大がかりなスキャンダルへと発展していく。彼らがしたこと、彼らの犯罪がいかに追い詰められたかが描かれるが、殺人の場面はあっても、かつてのバイオレンス映画ほど残虐な場面はない(当然、いかなる殺人場面も残虐でないとは言えないが、少なくとも拷問を楽しむようなサディスティックな場面はない)。とかくギャングがからめば、派手なセックス描写も含まれるが、それもない。犯罪者たちはたまにキャバレーなどでハメを外す程度で、ごく普通の家庭、あるいは、愛する息子を持っていたりし、実際愛を注いでいる。

 にもかかわらず、ジョニー・デップ演じる人物には救いがない。その救いのなさを、描ききっている。デップはすきではないが、これでますます嫌いになった(笑)。しかし、大した俳優であることは確かだ。

 音楽はさりげなく洗練されたジャズを使い、全般に今の時代でないと作れない洗練された作りである。『ゴッドファーザー』のように犯罪者をセンチメンタルに描こうとはしていない。視点はあくまで客観的に突き放している。しかし映像としてエンターテインメントしている。これぞ、映画というべき映画だ。


tag : 洋画 マフィア ジョニー・デップ ベネディクト・カンバーバッチ

文学フリマのお知らせ

10月20日「文学フリマ」11:00a.m〜4:00p.m@福岡大丸(エルガーラ8F)。詩集「杉村」から「ねじ」まで、1500円均一。来てね。ご希望の方には「附録」アリ(笑)。
山下晴代の「そして世界は泥である」

山下晴代

Author:山下晴代
小説『新リボンの騎士』(「すばる」集英社)ほか。
第一詩集『今はもう誰も杉村春子など知らない』(中原中也賞候補)
第六詩集『冬が来る』。すべての詩集は、製直.comで買えます。ご案内はHPに↓

http://www.mars.dti.ne.jp/~rukibo/

第7詩集『ねじの回転』発売中
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=103866719

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR